しんどい悩みに振り回されるときの処方箋④&事業所体験初日でした。
- 日記っぽい話
- 悩みむよ~の続き
こんばんは。
今日は待ちに待った(いや、別に待ってない)就労支援の事業所の体験初日でした。
日記っぽい話
電車がいきなり遅延。まじか。
ぎりぎりで入りなおかつ、のっけから下痢をかましトイレでゆっくりぶりぶりした後自己紹介と言う、流れるようなスムースクリミナル(何言ってんだ)。
福祉用具のメンテナンスの作業です。今日は基本中の基本、と言う前置きでベッドの手すりのような器具をきゅっきゅきゅ磨きました、きゅっきゅらきょ~。
一番最初のは1時間くらいかかりましたが、「慣れるとこれ5分だよ」と言われ軽く凹みます。徐々にスピードも乗ってきて、最終的に数はこなせたものの、まあ、大したことは全然ないんでしょう。それより、最初から効率や、スピードを追求してはいけません。ゆっくり心を込めて、丁寧に、です。
ピッカピカやん!(自己満足全開)
「案ずるより産むが易し」ってことなんでしょうね。結果はどうあれ、過去の仕事にまつわるネガティブな記憶と紐づけてかなりびびっていましたから、不安を必要以上に膨らませていました。
起きられるだろうか、作業に飽きたときどうすればいいだろうか、いじめられないだろうか、また早退→休職→退職の流れにならないだろうかもやもやもや・・・と。
今までは確かにそんな感じだったのですが、根っこには睡眠障害がありました。さらに根っこを掘り下げればそれはストレスとかの話にはなってくるんだとは思いますが・・・。
スタッフさんや利用者(※就労支援事業所利用者、つまりここで働いている人)さんも皆さんいい人そうで、昼食時などは語らいの輪も広がったのでした。今日はあばよ・・・。ここが第二の故郷になるかもしれねえや。
・・・就労支援事業所なので永住はできないんですけどね。
人って、状況や環境の影響を非常に強く受ける生き物です。「居場所」を見つける、と言うのは人生における一大プロジェクトと言ってもオオゲサではないかもしれません。昭和生まれ(自分もそうだけど)の方ですと家より会社、と言う方も多いのでしょうね。
でもここ最近は、会社はあくまで労働を提供する場でありそれ以上でもそれ以下でもない、と言う認識に代わってきているのが趨勢です。
私は、夜遅くまでこうこうと電気をつけて一人で頑張っている中間管理職の方々の方をどうしてもイメージしてしまうので、ああ、この層の人たちは本当に悩み多き世代だよなあ、と思いを馳せるのでした。
思ったのは、何やらエゴイスティックなこだわりだとか、プライドとか肩書きとか学歴とか。そう言う要素はできるだけ希釈化して臨んだ方が、素直に、初心に返って仕事に取り組めるな、と言うことでした。
そう言う意味では、色んな職を転々としたことも無駄ではなかった、と言うことなのでしょう。想像の世界だけで手放せるものではないですからね。
さてさて、自分の話はこんなところで。
悩みむよ~の続き
昨日の続き、と言う訳ではないですが延長上の話です。
「生と死」と言うテーマ。「死」、そして「病」。こう言った命題でくっそ悩んだ自分がとった結論的なものは、いつまで生きるのかはわからんけど、とにかく生きてみろや、と言うものでした。
やはりどこかで、「死」と言うものをイメージの中でリハーサルして、悩み・ネガティブ思考が底打ちし、受容し、全力で生きよう、と言う決意と覚悟みたいなものが固まったんですよね。悩みそのものに対する最終的なアプローチはシンプルにこれしかないのだと思います。
その助けとしてリラクゼーションであったり、趣味であったり、読書などがあるのだと思います。そして、悩みや不安、怖れなどと言ったネガティブな想念は、自身に何かを気づかせてくれるために存在し、それを克服、と言うか受容すると、ぽこっと浮き上がる時が来るんです。
この時は自分が成長した時でもあり、抽象度が一つ高い視点を手に入れる、と言うことでもあります。これこそが人間の成長の過程であり、逆境が最良の学校である、と言うゆえんです。行き着くとこまで行くと悟るんでしょうけど。
ただし、こうしたネガティブな想念で頭がぱんぱんになったときは、昨日書いたような方法でどうか少し頭の容量を開けてやってください。この取り組みの積み重ねが、長い目で見てメンタルのしなやかな強さを養います。ではまた。/おしまい。
・目的達成のために死をも辞さない人間の行く手を阻む者はない
・人は決して死を思考すべきではない。ただ生を思考せよ。これが真の信仰である
/ベンジャミン・ディズレーリ
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