人生いろいろ、おのこもいろいろ。(仮)⑥
どうも!
さて、私は大ウソをついてしまった。お彼岸などと書いたがお彼岸入りはどうやら今週の金曜日かららしい。
だが本日お墓参りを、父方の方だと何十年ぶりかにしてきた。
さて、過去話編。すったもんだのあった社会人時代に突入する前段を駆け足で語る。
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私はバイトもあんまりしなかった。これはのちのち大いに自分に影を落とすことになる。
まあ、学生の本分は勉強だけど、アルバイトは必須だと思う。
もっとも、奨学金を借りられない、あるいは先々返済の滞りを懸念しての過度のアルバイト、と言う在り方もまた肉体的・精神的に大変だとは思うが。
バイトは家庭教師を少し長い期間やったくらいで、あとは長続きしなかった。
持ち前の不器用さ、要領の悪さが際立った。
人様との受け答えだって齟齬はありまくりで、人間関係も人の目とか、人からどう思われているか、とか。
そんな物差しをずっと持って働いていたのでストレスも大きかった。
結果、理想と現実のギャップを痛切に感じ、だんだん社会に出ていくことへの心理的抵抗を強めていった時期でもある。
無能なくせにプライドだけは高い、クズみたいな人間であった。
とは言え、暗い話ばかりでもなかった。
学部に上がって、仲の良かった友人4人で同じゼミに入った。勉強などせず、よくこの4人でつるんで小旅行に出かけていた。
この中に土建屋の息子がいた。
石川の能登。こうなるともう小旅行ではない。そして、どんな車で乗り合わせていくか?と言う段になって、土建屋の息子が名乗り出たのだが・・・。
当日。
「〇信建設」と言うロゴ(?)が横に入ったトラックをチャーターしてきた。
このトラック、MT車で、セカンドギアからサードギアに入れるときにもうもうと黒煙を吐き出す。
道中何度も煽られたが、そう言う時は黒煙を吐いた。
さながらレトロゲーの「ラリーX」みたいに。
「おい・・・。後ろの車、張り付いてねえか?」
「うん、煽ってやがるな、ナマイキな。」
「♪デデデデデッデ~ デデデデデッデ~」(ラリーXのBGM)
もくもくもく。
後続車は一気に車間距離を取っておとなしくなる。
このラブワゴンで能登を3日かけて駆け巡った。いい思い出になった。
いかんせん、男ばっかりだったが。
学部ではあんまり勉強しなかったと書いたが、夢中になっていたのはゲームである。
ファイナルファンタジーをやるために学校をよくさぼっていた。だからすっかりモラトリアム期間だったわけである。
職場に配属され、一を聞けば十覚えるような新卒の子もいれば、私のようにコピーすらろくに取れない新卒もいる。
これは後日談だけど、学生時代にたくさんの苦い失敗体験と現場経験を積み重ねた社会人はやっぱり強い。
かと言って、後者のようなダメ社会人がまったく挽回できないかと言えば、そうでもない。
そこも含めて、このコーナーを進めていきたい。
さてそんなわけで、三年次、四年次で単位を一個4単位(半分の二単位のものもあった)で、80単位以上取らなければ卒業できない。
勉強もせず、かと言ってバイトもしないダメにダメを押したような学生だった私は、結果バイトで忙しかった学生より単位取得に苦労した。
四年次、みんなが就活に忙しくなる時期、私は三年次落としまくった単位を拾うために必死に学校に通い、合間を縫って就活をする。主従が逆転していた。
就活も、どこに勤めてどう言うことがしたくて、どう言うライフプランがあるとかないとか全然考えてなくて、とりあえず親が言うから、社会が言うから、と言う主体性のなさ。
働きたくて働くわけじゃない。毎日寝て遊んでいたい。
万事がそんな感じだったから、結果天は試練を与えたのだろう。試練の話は今後たっぷりとしますw。
ただ、毎日寝て遊んで・・・、と言う生き方そのものも別に否定されるようなものではないし、誰が否定するのだ、と言う多様性が認められる時代になってもきている。
ベーシックインカムなんかが導入されるのかどうかは分からないけど、少なくとも現場にAIが入ってきて、人間の手が介入する部分が極小化し、いずれはシンギュラリティと言う臨界点が来ると言われている。
だから、働いて自己実現、さらには自己超越をしたいと言う超人願望を持った人もいるし、ああ、もう働かなくてええんやなって人もいるし、そこは生き方が自由な時代が来るのかもしれない。一定の所得が約束されるのだ。
だが、今の日本の延長上でそれをイメージするのはちょっと現実味がない。人口はどんどん減るし、それなのに中間搾取やらやりがい搾取やらが横行し、格差が拡大し、非正規の労働者や外国人の移民が増え、消費税もアップし・・・。
う~ん、なんともネガティブ要素のオンパレードだ。
だが、ビジネスチャンスがなくなってにっちもさっちも行かない未来、と言うのもこれまた現実味が薄いのである。
富の偏在はあるけど富の源泉は実の所際限はない。だから悲観しすぎてもいけないし楽観しすぎてもいけないのだろう。
話がずれた。怠惰でモラトリアムな学生時代は光の時代だ。ここをしっかり書いておかないといけない。
単位取得に失敗しようやく半強制的に必死にならざるを得なかった四年次。この時は結構切迫していた。だが、割と結果的には単位取得も就活もうまく行った。
某都銀に内定をもらったのが六月。単位も四年の前期でなんとか無事卒業が視野に入る段階まで来た。
銀行。銀行で何がしたかったんだろうか。ビジョンなどない。ただ、給料がいいのと給料がいいのと給料がいいくらいだ。
同級生から散々脅される。都銀っつったら虎の穴みたいなとこだぞ、と。
だが、なんだか根拠も何もない勘違いに立脚した自己肯定感だけが高い。なんとかなるさ、と言う気持ちだけは強かった。
思うんだけど、「自己肯定感」と言う単語は「コテカ」を思い出す。
いや、それはさておき。自己肯定感が高いのはいい。何かしら日常で躓きがあっても、ここを軸にしここに立ち戻ってくれば、メンタルもしなやかなものになる。
あとは行動を通し、それをフィルターとし日々自身をモニタリングし磨いていく。
失敗で一時凹んでも、すぐに立ち戻るしまた、自己肯定感が高いと言うことは、他人を見下したり蹴落としたりの欠乏感から来る垂直思考から解放されることでもある。
だが肝心の実務能力がクゾザコレベルだったので、しばらくは社会の荒波に揉まれまくることになるのだが。
四年次の後期。ここで、学問に突然開眼する。ミクロ経済学、マクロ経済学、そして統計学。あとは経済成長論。
ここら辺は数学をバリバリ使う。のちに受けることになる公務員試験の経済分野のメインとなってくる科目だが、ここで数学の面白さに目覚めた。
だが、時遅し。
最終的には、なんとか卒業にこぎつけ、社会へ出ることになる。そんなところで学生編を締める。
では。/おしまい。
コメント、ありがとうございます!
福本さん圧倒的に好きですw。画像庫には訳も分からずたくさんの二次元絵が・・・。
引きこもり・「8050」問題への具体的対処を探る。③
どうもです。
今日は「引きこもり家族会月例会」に出席してきた。
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この会、毎回来る固定メンバー以外は結構人が入れ替わる。
今日は仙台近郊の市の女性議員さんも来た。そして、当事者とそのお母さん。
その議員さんも私と同じで、どうきっかけを作り、当事者に気づかせてあげられるか?その土台や基盤作りをどうするか?と言うことに関心を強く持っていたようである。
ただまあ、今は草の根的な活動である。
少なくとも、今日来てくださった親子の間に意見交換の場を持っていただくことで、通常のご家庭内の話し合いでは見えにくい客観的な視点を持ってもらえたようである。
当事者は当事者しか知りえない苦しみや悲しみ、辛さ、逆説的に喜びや達成感、幸福感と言うものがある。
その息子さんはご近所とか、社会との付き合いや距離感に行き詰まりを感じており、人と会うのが怖いのだそうだ。
それでも今日の会に飛び込んできてくれたのだ。そして結構話しやすかったらしくぶっちゃけトークもしていた。
人間関係。
ここは日本社会の病理と言うか、闇である。現場、仕事場で例えば初見の仕事を教えるときでもいちいち頭ごなしに怒鳴る人なんかもいまだに多い。
声のでかい、加害側になり易い人は組織の中では幅を利かせやすく、被害者は守られるどころかかえって攻撃されたり、不利な立場になったりもする。そう言う空気はすでに学校で縮図として現出している。
集団主義や帰属意識、反面同調圧力と言った負の面。それが強く出ると心に傷を負う人が増える。どうしたものか。
そこは今後、もう少し突っ込んで考えていきたい。
さて。
その息子さんが胸の内をさらけ出してくれたおかげで私も改めて、自分が自分の人生を再度取り戻すきっかけって何だったんだろうな、と振り返る機会を持てたのである。
私は母親の存在が大きかった。
父親は割と条件付きで子供を愛すと言うところがあったので、どこどこ大学を出ないとだめだとか、肩書にこだわっていた時期が長かった。
それは自身が現場勤務で、落下傘で本店とかから降りてきた大卒の年下の管理者に顎で使われたりした体験があるからである。
だから私には兄と弟がいるが、父親は特に三人とも大学へ入学させなければならないと言う強いこだわりを持っていた。
そこで、今振り返れば・・・。と母親はよく漏らす。
勉強さえできていればいい。そんな幼少期を送らせていたのだと。
家事とか、身の回りのことなどを自分でやらせず、口に出す前に自分でやった方が早いと考えていたそうなのだ。
心の病については、家族、とりわけ両親との心理的和解をすることがとても大事なのである。
だからと言って、過去を振り返って事細かに、あの時ああだったからだめなんだ、とか思い出したりすること自体不毛だし、それは反省として振り返るよりどちらかと言えば後悔にしかならない。
だから、そこからは未来・目的志向で今から何ができるかを考える。その前提の下で腹の中にあるもやもやは感情として吐き出す。
それは面と向かっての衝突ではなく、紙に書き出したりするとかの割と地味なプロセスだ。過去のネガティブな親子間の体験の記憶をリアルに掘り起こし、そこにメスを入れる。
そして紙面でそれを再現し、感情もろとも吐き出す。
今の深層意識を作っているのは幼少期の記憶がかなりの部分を占めている。幼少期は当然自意識も育ってないし未熟だから、叱られたことなどを未だに深層意識では根に持っていたりするのだ。
それを事細かに思い出すのは難しいけれども、あの時こうしてほしかった、とか、こんなことで怒られたのは理不尽だ、とか。可能な限り吐き出す。
こう言った心理療法は実際に行われている。本来であればカウンセラーやプロの力を借りるのがいい。
しかし、今日来ていた息子さんは過去にカウンセラーの指導を受けたそうなのだが相性が悪く、ソリが合わなかったそうなのだ。だからこれは絶対条件ではない。
認知行動療法などと併せ、セルフでやらなければならない場合の方が多いのかもしれない。田舎なのでカウンセラーの絶対数が足りないのである。
ともあれ。
その息子さんは部屋に閉じこもり、何をやってもうまく行かない現実を前に塞ぎ込み、幾度も暴れたり壁を殴ったりしたそうだ。
しかし、お母さんが自分のために本気で汗を流してくれている。その姿に次第に心が氷解していったそうである。
と。
そこではた、と気づいた。自分も最初のきっかけってそう言うことだったかもしれない。
自分を徹底的にいじめ、責め、生まれてこなければよかったなどと呪い続ける一方で、このままではまずい、と言う焦りも募らせる。その苦しみから何とか逃れようと、色々な情報を漁った。
ネットだけでは情報のソースの大海のスキミングしかできない。なんとなく表層的な理解で終わる。結論、本の方がいい。
私は佛教哲学の本をたくさん集めたが色々な啓発書もある。
人によってそこは異なる。潜在意識の書やスピ系の本も随分読んだ。
だが、実際に人の中に入って行こうと考えたのは、恩師が適時的に指示を出してくれたのもあるが、母親が自分のために汗を流し、必死に駆け回ってくれたことが大きい。
そのあとは家事を手伝ったり、仕事に行って他人の中に入り自分の存在意義みたいなものを再確認することを通し、与え与えられることの喜びと感謝の妙味を知った。
自分が幸せなら。人に幸せを分け与える。そうすると、いくらかは自分に跳ね返ってくる。積極的に善行をし、人に与えようと言うのが色々な宗教とか哲学、心理学などから汲み取れる共通項である。
ただ、それは自己否定の沼から底を打って這い上がる後の、少しエネルギーが満ちてきたときに行うことだ。
どうやったら再度、自分のもとに人生を取り戻し、自身に価値を見出すきっかけを作るのか。それは人それぞれやり方が異なる。
今日集まっている人はみな志は同じだ。今後も積極的に会に参加し、知恵を出し合い、小さな声を丹念に拾っていく。ちょっとしたきっかけで、想定もしていなかった人との接点が出来たりする。そこは出会いの妙だ。
そこからまた輪が広がっていく。あとはそれぞれの宿題だ。会の性格上大々的に宣伝することはしないが、来る者拒まず、去る者追わずである。たぶんw。
ここには頭っから当事者を否定したりする人はいない。社会にはすぐに甘えるな!とか自己責任だとか、犯罪者予備軍だ、とかきつい言葉を浴びせたり、差別したり、レッテル貼りをしたりする人が多い。
だからと言って、当事者だけで傷の舐め合いをしていてもダメである。
どのタイミングで、どう具体的なアクションを起こすか?そこは緊密な専門家や行政との横の連携が不可欠だ。だから今回、議員さんが問題意識を持って参加してくださったことは前進であろう。
そんなところである。
では!/おしまい。
コメントありがとうございます!
「感謝ノート」、心がほんわか温まります。
>モカリーナ様:(id:mocharina09 )
コメント、ありがとうございます!
作業所は冬寒く夏暑かったですねw。ようやく涼しくなってきました。
コメント、ありがとうございます!
ご先祖への感謝と言うのは結構、心を豊かにする側面もあります。遠い自分が生きていない昔に思いを馳せたりなんかもします。深いですよね。
コメント、ありがとうございます!
ポリゴンは例の事件がネガティブに結びついちゃった可哀想なキャラなので余計に愛があります。ドラクエの歩きゲーも人気ですね。
>切株おやじ様(id: masuhiro6595 )
コメント、ありがとうございます!
そ、そうか!!さらに父親と母親から掘り下げて・・・。なんて強運なんでしょう。その視点までは考えが及びませんでした。
愛と感謝の伝道師になった日。
どうも!
さて、お彼岸入りしたんだったろうか。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、ここんとこぐっと気温が低くなり、夜はかなり冷えるようなった。
四季のメリハリがついていることにはなんと言うか情緒を感じる。だが、どちらかと言うと心地の良い春や秋は短い。
ふう、ポエムだな。(爆)
いや、そんな感性など持ち合わせてはいないので、なんとなく肌で季節の移り変わりを感じるままに任せている所である。
つい先日まで上半身裸でエガちゃんみたいな恰好をして数学を解いていたり、作業所の中の温度が42~43度あったのが嘘みたいだ。
さて、「シルバーウィーク」らしい。
今日は作業所の同僚のグループホームへ行ってゲーム大会に興じてきた。
はっきり言って私はゲームはど下手くそだ。現行プレイしているゲームはポケモンGOだけである。
そんなこんなで間もなくこの職場とも袂を分かつので、ここに顔を出すのもこれが最後になるだろう。
そんでもって明日は引きこもり家族会の月例会、んでもってあさっては実家のお墓参りである。
なのでちょっとブログの方が疎かになってしまうかもしれない。後でフォローを忘れずにしたいと思う。
さて、そんなわけで。お彼岸だ。「シルバーウィーク」だ。(メインはそっちかい)
しばらく実家には顔を出していない。
ずっと引きこもりで、外界との接触を極力避けてきたのだが、実家なんかはその最たるものだ。
勿論手前勝手な被害者意識なんかが強く自意識過剰でもあったので、この年になって親のすねをかじって何もしていない、と言うようなことに恥の意識を強く持っていたこともある。
だが、思いのほか、ほとんどすべての人が外への扉を開いた私を歓迎してくれた。
「お彼岸」に実家のお墓参りをする。お墓参りの意義って言うのは言うまでもなくご先祖への感謝の意を表することがメインだと思う。
よもや墓前に行って神頼みよろしくお墓祈願するでもあるまい。自分が今ここに立っているのは、ご先祖あってのことである。その原点に立ち戻るのだ。
我々は、自分の生まれてくる境遇を誰も選ぶことはできない。しかし、この世に生を享けるまでの長い道のりを考えてみると、とにかくとんでもなくスケールがでかいのだ。
私も誰しも母親のお腹から生まれ、相手は父親で。それぞれに両親がいて。関わる数は、遡ればどんどん倍に増えていく。その両親も、さらにその両親も・・・と遡る。
10代も遡れば1024人、11代遡れば2048人だ。ここで大体300年前とかになろう。だから、今の私が生まれるためには300年の間に1000組以上の父と母のカップルがいなければならないことになる。
そして、代々の数を足してみると、なんと4094人だ。その間に誰一人欠けても、今の自分も、勿論誰しも、生まれてはいない。
だから、多くのいのちと縁が脈々と繋がって、授かったものが命である。さらに、地球上の生命の中で、私たちが人として生まれる確率は2兆分の1とかのものらしい。
「愛」や「感謝」の念と言うのは尊いと言うけれど、なんとなくお仕着せっぽい感覚だと実感がわかないものである。
先日綴った過去記事の中に「感謝ノート」と言うものを扱っているが、これはポジティブ心理学などで確かな効果が認められているものだ。
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でも私自身これを無職の時にやっていて、ホントにこんなの効果あんのかな?と何度もやっては止めやっては止めしていた。
実際に色々な人やもの、とりわけ身内やご先祖、そして関わる人への感謝の念がふつふつと湧いてきたのは、働くようになったり、家事を分担するようになってからである。
やっぱり自死と言うものはいけないものだと思う。道徳観とか倫理観から来るものではなく、生を享けると言うことはそれだけ重たいことだからだ。ましてや他人の生命を脅かすなどもってのほかだ。
苦しいことも悲しいこともあるけれど、人間は生を全うしなければならないし、また全うする価値も時間も十分にある。その原動力になるエネルギーの一つが愛とか感謝だと思う。
感謝と言えば、自分の五臓六腑とか、極端なことを言えば細胞の一個一個にも感謝する始末だw。細胞一個一個は要は生物なのである。
しかし、日々めそめそと生きていると、細胞も不活性化し、下手をすればオフになっていたなんらかの病の遺伝子がオンになったりもする。
上を向いて歩こう、ってことだ。そして、その細胞一個一個を生かすのもまたいのちなのだ。
だから、感謝の源泉やスイッチは日常の中でたくさんある。あとは自身の感性を磨くことに精を出せばいいのだと思う。
そんな心構えで墓前に久々に立ちたいと思う。
さて、話変わって。
変な夢を見た。いや、昔あったことの再現だ。
私は中学校の時剣道部だった。剣道は小1のときからやっていた。
一度、先輩と対峙し、そりゃああ~~!!と向かっていった拍子に先輩の竹刀の切っ先が自分の脇の下に入ったことがある。あろうことか、先輩はそのまま力を緩めず、勢いをつけてきた。
「いででででででででで!?」
私は後退した。先輩はそのまま勢いに任せて前進してきた。
すかさず、後ろにのけぞって足をかけた。先輩が覆いかぶさってきた。
そこで目が覚めた。
けったいな先輩や・・・。二度寝した。
そんなところで終わる。では。/おしまい。
コメントありがとうございます!
もう、頑張るエネルギーすら失われているときに自分の尻を叩くことはないんですよね。そう言う時はあります。それを素直に受け容れれば・・・。
コメント、ありがとうございます!
私は私で最近は慎重さがなくなってきました。失敗はガンガンします。それもまた一興ですよね。
コメント、ありがとうございます!
中間管理職が一番大変です。どうかご無理をなさらず・・・。仕事の量は減らないから効率化をいかにするかは極めて大事ですよね・・・。
コメント、ありがとうございます!
なんかエジソンっぽい含みがありますね。本当にそうだと思います。経験値♪
コメント、ありがとうございます!
う~む、個性ですね~。私は一二年前まではかちかちの完璧主義者でしたw。
>モカリーナ様:(id:mocharina09 )
コメント、ありがとうございます!
嬉しいお言葉です。自分をほめる。意外にできていないことですよね。
失敗を科学する。②
どうも!
さて、首都圏、横浜・千葉と言った地域に大きな被害をもたらした台風であるが、まだ現地の方々は不安な日々を過ごされていらっしゃると思います。
つつしんでお見舞い申し上げ、早期の復旧を祈念します。
週休二日の方々はお疲れ様でした。
私は今日を持って、今の作業所での仕事を終えた・・・はずなのだが・・・。なんか来週も普通に顔を出す前提のもとで色々指示出しもされ・・・、んん??
少しずつ次の職場の方へ軸足を移していくと言う話だったのだが、もう少し作業所の方にも行かなければならないようでもあり。
まあいいや。
さてさて。失敗と言うテーマで綴っていた。中途半端なのでコンプリートしておこうと思う。
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「コンプリート」と言ってもさしたる目新しいことを書くでもない。
重要なのは失敗したときに自分を責めたり、失敗を極度に怖れたりするメンタルをどう制御しあるいは矯正するか、という問題だ。
あとはシンプルに行動量を増やすだけなのである。
私自身今数学を学習中であるが、この問題はちょっと後には退けない的な問題に直面したとき、間違ったらどうしよう、とか、答えられなかったら自分が否定される!的な思い込みを前はどこかしら持っていた。
言うまでもなくこれはしんどい。
だが、だんだん慣れてきた。そのうちにもっとレベルの高い問題が解けるようになってきた。
数学の問題と言う事であれば、10問解くうちの7問とか8問とかの目安で、これこれこう言う風に解いていこうと言う糸口、導入の部分と、筋道の両方が大体合ってればまあいいや、ってとこまで来た。
あとはひたすら演習量を増やすことと、間違えた問題を確かな記憶として定着させる作業を高速化させるだけである。
だから完璧主義、と言うのが一番まずい。
完璧主義と言うのは一種の認知の歪みで、認知の歪みってことは認知行動療法で随分改善できる。
失敗したら、解けなかったらどうしよう・・・。と言う恐れの部分と、解けなかった後の自責の部分。
この出入り口を少しばかり風通しを良くしてやる。夜寝る前とかにセルフの認知行動療法を10~15分くらいやるといいかもしれない。
この場合であれば、「認知の歪み」の類型は「全か無か思考」であろう。
<フォーム1>
表3-1 認知の歪みの定義
1.全か無か思考:ものごとを白か黒かのどちらかで考える思考法。少しでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう
2.一般化のしすぎ:たった1つの良くない出来事があると、世の中すべてこれだ、と考える。
3.心のフィルター:たった1つの良くないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。ちょうどたった1滴のインクガコップ全体の水を黒くしてしまうように
4。マイナス化思考:なぜか良い出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう
5.結論の飛躍:根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう
a.心の読みすぎ:ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう
b.先読みの誤り:事態は確実に悪くなる、と決めつける
6.拡大解釈(破滅化)と過小評価:自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。双眼鏡のトリックとも言う
7.感情的決めつけ:自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映していると考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」
8.すべき思考:何かやろうとする時に「~すべき」「~すべきでない」と考える。あたかもそうしないと罰でも受けるかのように感じ、罪の意識をもちやすい。他人にこれを向けると、怒りや葛藤を感じる
9.レッテル貼り:極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯した時に、どうミスを犯したかを考える代わりに自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者だ」他人が自分の神経を逆なでした時には「あのろくでなし!」というふうに相手にレッテルを貼ってしまう。そのレッテルは感情的で偏見に満ちている
10.個人化:何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう
<フォーム2>
<トリプルカラム法> | ||
自動思考 (自己批判的) |
認知の歪み | 合理的な反応 (自己擁護的) |
※ポイント | ||
①無理に元気になろうと努力する必要はない。そのかわり、真実を認めるよう努力 | ||
する。 | ||
②右欄に書いたことが説得力がなく合理的でないならば、少しも自分のために役に | ||
立たない。自己の批判的な声に反発しようとする信念をしっかり持つこと。右側の | ||
合理的な反応は、自分の自動思考がいかに誤ったを示してくれる。 |
<フォーム3>
<トリプルカラム法> | ||
自動思考 (自己批判的) |
認知の歪み | 合理的な反応 (自己擁護的) |
1.正しいことなんて、何も | 1。一般化のしすぎ | 1.ナンセンス!正しい事を、 |
やっていない | いっぱいやってるさ。 | |
2.自分は、いつも遅刻して | 2.一般化のしすぎ | 2.いつも遅刻しているわけじ |
いる。 | ゃない。それはおかしい。 | |
時間通りに行った時のことを | ||
考えてみよう。もし実際によ | ||
く遅刻するようなら、時間を | ||
守れるような方法を考えよ | ||
う。 | ||
3.みんなが自分を軽蔑して | 3.心の読みすぎ | 3.自分が遅刻すると、機嫌が |
いる。 | 一般化のしすぎ | 悪い人もいるかもしれない |
全か無かの考え | が、世の終わりというわけ | |
先読みの誤り | じゃない。会議なんて、時間 | |
通りには始まらないもんだ。 | ||
4.自分はまるっきりばかに | 4.レッテル貼り | 4.なんてことを。自分はばか |
見えるだろう。 | じゃない。 | |
5.自分で自分がばかに思え | 5.レッテル貼り | 5.ばかじゃないさ。遅刻した |
る。 | 先読みの誤り | ら、ばかに見えるかもしれな |
いが。誰だって時には遅刻す | ||
るさ。 | ||
※ポイント | ||
①無理に元気になろうと努力する必要はない。そのかわり、真実を認めるよう努力 | ||
する。 | ||
②右欄に書いたことが説得力がなく合理的でないならば、少しも自分のために役に | ||
立たない。自己の批判的な声に反発しようとする信念をしっかり持つこと。右側の | ||
合理的な反応は、自分の自動思考がいかに誤ったを示してくれる。 |
メンタル疾患かどうかにかかわらずこの手法は有効だ。
完璧主義は最適主義に転換しないとしんどい。それまでこつこつ心のしこりや思い込み、認知の歪みを矯正し取り除いていく。
「セルフ・コンパッション」と言う手法も有効らしい。
私は詳細は知らないのであるが、「コンパッション」とは慰めとか同情、くらいの直訳だ。だからようやったじゃないか、と褒めてあげたり、健闘を称えたり、これは出来なくても仕方がない、と言うようなフレーズを単語帳とかに仕込んでおく手法のようだ。
とにかく、だ。
何事も結果に執着してはいけないのである。結果とはコントロールできないものだ。
いいか、誇りを持って生きることを忘れるな。そして正しいことを信じて進め。そして己を過信せず常に自分の周りを見極めろ。そして何事も全力で臨め。そして・・・。それでもダメなら・・・、笑って自分を許してやれ。/ドラゴンナイツグロリアス
てなわけで。
ダメでもまあ、いっか、と割り切って、笑って自分を許しましょう。これが一番大事かもしれない。
勿論、日々の仕事なんかでもそうだ。仕事の質も量も求められるようになるとどこかで綻びは出る。
結果が全て、100点じゃないとだめだ、と言うような上役なんかもいるかもしれないけど、これは無理だ。いや、人命にかかわるようなことだとまずいけどさ。
間違えて謝罪しても、自分を責めないように、そう言う心の素地は作っておいた方がいい。そこに至るまでの努力はけして無駄ではないのだから。自分は自分を責めたり、いじめたり、見捨てたりしてはいけないのである。
そんなところだ。失敗ありきなのだ。
では。/おしまい。
>ちゃんこ様( d:chanko_bamboo )
コメント、ありがとうございます!
暗殺教室の教材があるんですね!書店で見てきます。楽しく学んでもらいたいし、私自身も楽しんで、ってところがミソですね。ありがとうございます。
コメントありがとうございます!
プリントはとてもいいアイデアです。ありがとうございます。自作問題とかもいいのかも・・・。
コメント、ありがとうございます!
キャラ名、ご名答です!おめでとうございます。何も差し上げられませんが・・・。
おめでとうございます!(大事なことなので二度)
>切株おやじ様(id: masuhiro6595 )
コメント、ありがとうございます!
絵は好きですが、上手かどうかは・・・。練習し精進します。ありがとうございます。
コメント、ありがとうございます!
自分が分かっても仕方がなくて、気が付いてもらうとか、目覚めさせるとかそう言う世界の話になってくるので難しいですよね。どう言う風にするかは子供さんでそれぞれですし・・・。頑張ります。
>モカリーナ様:(id:mocharina09 )
コメント、ありがとうございます!
絵は好きですが上手かどうかは・・・。ありがとうございます。練習します。
人生いろいろ。おのこもいろいろ。(仮)⑤
どうも!通院行ってきます・・・。しくしく。
さて、もうじき仕事が変わるわけであるが、何か中学生に勉強を教えると言うか、楽しく勉強に取り組んでもらうための教本みたいなものが欲しい。
高校生だとある程度は分かるんだけど・・・。何がいいのだろうか。
まあ基本、自主性に任せる形にはしたいのだが、宿題はやってもらわなあかん。
・・・あ。小学生も教えないといけないんだった。
たぶん、自分が教えているつもりで教えられることが多いんだろうな・・・。現場(?)に入って、失敗して、工夫して試行錯誤して・・・。
本はそのガイドにはなるだろうけど、仕事に教えてもらうことの方がきっと多いのだ。
あんまり教育の仕事に携わったことはないので、分からんことだらけなのである。(まあ、個別指導の塾の管理者はあるけどさ)
あとは心理学の本ももっと欲しい。
てなわけで。
リゾート的な立ち位置だった大学生活の話を駆け足で語るw。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
学部は三・四年次。まずは教養部と言う所に全学部まとめて放り込まれる。
「ロ~~~~~~~~ン!!w」
今日も麻雀牌を勢いよく倒す私。
高校時代つるんで先に合格し入学していた先輩方(元同級生)と卓を囲む日々。工学部に入った者が多かったけど、あんたら勉強せんでいいの・・・。
理系は何か厳しいイメージがあったから・・・。
私?私はポール。トーテムポール。(意味不明)
工学部や経済学部に入っていた元同級生5人はこぞって、なぜか文芸部と言う所に身を寄せていた。私も入った。
文芸活動などせず、日々集まってダベったり、エロ本の黒塗りの所にマーガリンを塗ったり、麻雀をしたりとなんだか怠惰に怠惰がタンデムしたような日常が展開されていた。
一応講義はそれなりに真面目に出ていた。
入学時、「鬼仏表」と言うものが配られる。
何かと言うと、どの教授や講師が単位をくれやすいか否かを、「鬼・・・取得難。仏・・・取得易」と言う指標に視覚化、リスト化したもの。ご丁寧に全教師陣の名前とレビューが書かれているw。
「ド鬼」とか「ドド鬼」とかもいて、これらの教師陣は「撃墜王」の名を欲しいままにし、触らぬ神なのだった。
でも。
第二外国語は必修に近く、生徒は教授を選べない。
問答無用で「ド鬼」とか「ドド鬼」に当たる場合もある。
私は「鬼」だった。前述のI君は「ドド鬼」だったw。
「めんつるぅ~~~!(泣)」
彼は泣いた。
でも元々勤勉で、予習復習を欠かさない彼はやがて、その「ドド鬼」の心をも動かすようになっていくのだが、それは後日談。
あ、いや、「大学編」はさらっと流したいのでここで語るけど、I君を助手にしたい!とまで言わしめたそうだ。
途中過程がっつりすっ飛ばすけど。テストの成績も素晴らしいものだったと言う。
あ、ついでに言えば2割くらいは撃墜された模様だ。
私は「鬼」だったが、私もまあまあ勉強し、まあまあいい成績も取って一安心した。
だが、他の教科はロ~~~ン!と言う掛け声とともに、右から左へ流すまでもなくそもそも出席すらしないのだった。
多くは一般教養。当然「仏」の講義ばかりを選択する抜かりのなさだった。(いや、ここまでは誰でもたぶんやるんだけどさ)
たまにいたんだけど、一匹狼的に誰ともつるまず、あえて茨の道を選ぶ!と言って「鬼仏表」を受け取ったのかどうか分からないが、厳しい先生の講義ばかりを選び結果留年する人もいた。
ロ~~~ン!と言ったって、学生ローンを借りた訳ではない。だが、学生ローンに類似した特性を持つ奨学金は借りた。
当然この時期、経済学部の学徒であったにもかかわらずこの奨学金と言うものの重みを知ることはなかった。
いや、まあ社会に出ても何とかなるべさ的な安直さで、本当にけつから当たり前の常識とか、緊張感とかがあらかた抜けていたに違いない。社会を舐めていたとしか言いようがない。
でもまあ、概ね大学生と言うのはこんなものだ。大学入試は確かに厳しい競争試験だから、そこまでは頑張って、安心感と共に尻子玉を全部放出したようになる。
D君(工学部2年)「んでさ。経済学部って結局何をやる学部なの。あ、それポンね。」
私「ああ、世の中カネじゃあ~~~!ってことをべんきょうするんじゃねえかな。」
T君(経済学部2年)「いや、ストレートに金儲けの話をする学問とかじゃねえのがいかにも学問らしい所だよね。回りくど過ぎると言うか。ギャンブルしてた方がお金には結び付きやすいんじゃねえの?」
!君(工学部1年(たまに来てた。麻雀鬼強い))「お前ら・・・。親が聞いたらキレるぞ。」
ああ・・・。この光景。なんか既視感。昔、私が高校二年の時、悪友宅に入り浸って酒喰らってた時だ。そん時は親父に馬乗りになってグーで殴られたんだったな。
shirosuke0214-pr-tomo.hatenablog.com
と、言うことは。過去の反省は全く生かされていなかったことになる。いや、そもそも反省なんか、してたんだっけ?原点に立ち戻らなければならないのだが。
さて、私はいつオタクになったんだっけ?あんまり記憶が定かではない。でもたぶん、きっとこの時くらいだったような気がする。
ああそうそう、大学の教養部のキャンパスには学食が二つあり、一つはどこにでもある学食風。(まあ、私立みたいな綺麗な感じではないけど)
そして第二食堂があったのだが、後者のカレーは絶品で、他大学からも来訪者が来るほど名を轟かせていた。
反面、建物がプレハブ小屋みたいなほったて小屋だったので別名「貧民食堂」とも呼ばれていた。カツカレーのカツはごろっ、とでっかいのが入ってくる。
「試験に勝つ!」とか、「勝負に勝つ!」的にゲン担ぎに食ってた大学生はいたんだろうか。何のゲン担ぎかはわからないけど。
あと、カップルでこの食堂に来ていた学生はほぼほぼ他大学生だったんではないかと思う。
東北大生にもモテるやつはいた!「イカトン(=いかにも東北(トンペイ))」とバカにするなあ!!(被害妄想w)
そして、試験をのらりくらりとかわし、すれすれながら半ば優しい教授のお情けもあったかと思うが無事学部に進級する。さらば地球よ。いや教養部。
/続。
(番外)
あ、絵~描きました。キャラ名当てた方に・・・う~ん・・・(沈黙)。
①
②
コメント、ありがとうございます!
「説教臭い」w。まさに。そしてバカ強い。名伯楽なんでしょうね。
コメント、ありがとうございます!
アニメの美しさ、動きの滑らかさ・・・。素晴らしいです。私も本当に楽しみにしています。
>ちゃんこ様( d:chanko_bamboo )
コメント、ありがとうございます!
はい。「ニューシネマ」、たぶんとっぷりと語りますw。
炭治郎、本当に優しいですよね・・・。欠点となるような場面も先々あるのでしょうね・・・。
コメントありがとうございます!
人間、自分が正しい、とそれこそ思い込んじゃうものですからね・・・。誤りを犯す生き物なのだと常に謙虚にいなければならないのかもしれません。
アニメと映画をがっつり語る。②(3081文字)
どうも!
さて、もう少々アニメや映画について語る。
「ニュー・シネマ・パラダイス」と言う名作について書こうと思ったが、もう少し「鬼滅の刃」について引き続いて語る。
第2話まで視聴した。
あ、以下ネタバレありっす。閲覧注意です。
(ネタバレ箇所)
う~ん、熱い!魂がぷるぷるするわあッ!!(・・・魂?)
第2話中盤。左近次が炭治郎に覚悟を問うシーン。
鬼になった妹がいつか、罪もない人を食うリスク。そう言う場面で、妹を斬れるかを問う。
優しい炭治郎は即答できない。決断が遅いィ!!ビンタ炸裂。
う~む。
優しい素直な心根の主人公が覚悟を問われるシーン。これは少年漫画の王道っぽいけどオマージュとかではなくジャンプの血脈ここにあり、という感じで、素直にジャンプ魂としてしかと受け止めたのだった。
何しろ私はジャンプと魂を共鳴して育ってきたのだからふふふう。
いくら身内でも、罪なき人々を襲うようなシチュエーションだったらもう斬るしかない。
それはとてつもなく重たい決意と覚悟を迫るものであるが、想定しうる事態であり、そう言う苦渋の選択をもしなければならない。
さあさあどうする?
これはもうちょっと先を観てみないと分からんね。
話は逸れるようで逸れないし、逸れないようで逸れるけど、人の真価が問われる時って、一つは矜持を持って、覚悟を決めてここぞと言う時に何が出来るか?と言うことだとも思う。
それは仕事であり、役割であり。責務であり。時に非情な選択をしなければならないこともある。
だが一方で、肉親の血。命もまた、等しく重く尊い。
だから、ここで問われている命題は針の筵の上にでもいるかのような切迫感を持つ。
左近次の答えはこうだ。
『妹が人を喰った時やることは二つ!妹を殺す!お前は腹を切って死ぬ!鬼になった妹を連れて行くと言うのはそう言う事だ!』
『しかしこれは絶対にあってはならないと肝に銘じておけ。罪なき人の命をお前の妹が奪う。それだけは絶対にあってはならない!』
う~む・・・フラグなのかな~。
地面から生えてる禰豆子は可愛いけど・・・。
ともあれ。
これはまあ、即答できなくてもしゃあないわな~、と思いながら、左近次の厳しさの中にも優しさを見出したのであった。
(ネタバレ箇所終わり)
さて、話はいきなりあさっての方向へ飛ぶ。
今、「ファクトフルネス」と言う本を読もうとしているのだけれど、これは人間の思い込み、バイアスについて言及したもののようだ。
ジャンル的には心理学になるだろう。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
- 出版社/メーカー: 日経BP
- 発売日: 2019/01/11
- メディア: 単行本
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「人生は思い込みが決めている」
ってフレーズがあるけど、まさにその通りで、マインド・意識のレベルでの様々なその人が世界に被せているフィルターみたいなもの(アドラー的な説明だと)を通して、その人は世界を見ているわけだ。
で、覚悟とか矜持って単語を出したけど、これを持っている人はやはり成長度合いが半端ない。
だけど、その反面常に崖っぷちに立ったり、あるいは艱難辛苦にぶち当たるようなマインドセットがされていて、その通り波乱万丈な出来事を実際に次々招いてしまうのだ。
これはその人の信念体系が、波乱万丈や逆境を通してしか成功や幸せと言うものは掴めないものであり、だから私は波乱万丈を望むのだ、と言うものにセットされているせいで、深層心理はああ、この人は艱難辛苦を自分の意志で望んでいるんだな、じゃあますます試練を与えようって感じに解釈し、それを現実に表出させるわけだ。
これは自分がそうだったから分かる。
日本人は謹厳実直な人が多いから、こう言う心の設定になっている人がたぶん多いんだけど、欧米だって実力主義で個人主義のお国柄だからやっぱり多いのではないかな、と言う気がする。
まあ国際比較してもしゃあないんだけど、散々波乱万丈な人生を送ってきて、さらに艱難辛苦を望むの?って話であり、それは勿論その人の選択なんだけど、そこに至るまでの苦労でずいぶん人間性は磨かれているはずでありもちっと「快⇔不快」の行動原理を取り入れてもいいんでないかい?とも思うのだ。
私は少なからず、そう言う軸を取り入れるようになってから平穏な日常になった。そう言うのって心が決めているのである。
無意識領域の持つ力はとんでもないものがある。これは誰しもそうだ。覚悟や矜持を持ってここ一番で力を解放するもあり、意識レベルのこざかしい判断・ジャッジをちょいと弱めてやって無意識レベルの力を解放するもどちらもありだ。
私は少しばかり、後者の軸を生き方に取り入れたのである。
そこら辺は以下の書にも書いてある。ご興味があればどうぞ。無意識の力を解き放つおまじないみたいなものが書いてあるのでおすすめだ。(何回か過去記事で紹介してますが再度・・・チェスト。)
無意識さんの力で無敵に生きる ―思い込みを捨て、自由自在の人生を手に入れる方法―
- 作者: 大嶋信頼
- 出版社/メーカー: 青山ライフ出版
- 発売日: 2014/12/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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あ~あ、「鬼滅の刃」の話から随分ずれてもうた。はい、いっつもです。リアルでもネットでも。
今日仕事場で休み時間おっぱい談議になったんだけど、そう言う話に乗ってくる人もいれば去って行った人もいた。(何の話だ)
私は別に、そう言うフランクで型にはまらない雑談・コミュニケーションは職場の円滑湯だと思うし、そもそも正常な(いや、昼間っからお色気画像を出されて刺激が強かったけどw)反応だからいいんじゃないの?とすごく思うのだ。
あとは私が部屋掃除してたら速水もこみちストラップが出てきた話もした。
それはともかく。
ここ一番、仕事をくっそ頑張る時は矜持とプロ意識を持って。そして頑張らなくてもいい時はくっそ脱力しましょうと言う、なんとも単純な話で終わることにする。では。/おしまい。
>ちゃんこ様( d:chanko_bamboo )
コメント、ありがとうございます!
布教ありがとうございます!w作品も出会いなんだなあ・・・。(しみじみ)
おお、イタリア語を勉強なさったのですね・・・。第二外国語はトラウマですが、今になって興味も出てきています。
コメント、ありがとうございます!
すでに現時点で魂ごと持っていかれています。ジャンプに育てられた人間なのです。ゾンサガは楽しかったですね。まどマギは劇場版まで入れた総合評価です。未だにほむほむ好きですw。
コメントありがとうございます!
もしよろしければぜひ。どれもちょっと長く、絵に癖がありますが内容は折り紙付きです。
コメント、ありがとうございます!
Z.O.E・・・。あのオープニングは鳥肌ものですね・・・。アニメの方もどうやらヤバいクオリティのようです。
アニメと映画をがっつり語る①。(3642字)
どうも!
さて、「鬼滅」・・・。やっべえよ。
今、第2話の前半パートまで観たところである。久々に規格外の作品の香りがする。
(以下ほんのりネタバレ箇所:閲覧注意)
第1話。義勇登場。
義勇の一言は重い。弱者は食われ、蹂躙される。弱者には何の権利も選択肢もない。それが現実。
まあ、いつの世もそうだ。
本田宗一郎さんが、
「強い人間などいない。いるのは弱い人間か、強くなろうとしている人間のどちらかだ。」
と言うようなことを言っていたと思う。私自身、そんな人の不完全さ、未熟さ、弱さ、逆説的に芯の強さを愛する。
あとはニーチェの哲学あたりをひも解くと。弱者としてルサンチマンを募らせることを潔しとせず、超人となれ、と説いた。
優しい心根を持った炭治郎がその人の良さに付け込まれ、利用されるような場面が先々あるのかもしれない。
そう言う時に自身を見失い、自身を信じられなくなることもあるだろう。そう言う時はアイデンティティが足元からぐらつく。自分の価値観や生き方が誤りなのではないか、と。
私自身が経験があるから分かるんだけど、私も、私の家族もお人よしだ。私は過去に随分利用もされ、嫌な思いもした。
そのたび、自分の生き方を曲げようと悪ぶってみたりもしたこともある。でも結果、自分の生き方に反する生き方はどこかで破綻した。
弱者は踏みにじられる。確かにそうだ。だから、そんな理不尽な現実を受け入れられないなら、人は強くなるしかない。真に強くはなれないかもしれないけど、それでも強くなるしかないのだ。
そこに人の尊厳を、芯の強さを見る。まあ、どういう話になっていくのかはまだ分からないんだけど。
強くなろうと、強くあろうとする者に、泥臭く立ち上がろうとするものに、現実も世界も実はそんなに非情ではない。他者に厳しくも優しく、自分に厳しくも優しく。
それでも。
役割を、仕事を果たさなければならないときは、非情な選択をしなければならないこともある。
この先ど~なるのおおおおお~!?w
・・・あとは禰豆子が萌え要素なのだなw。
(ネタバレ箇所終わり)
あともう一つ点火した。『Z.O.E Dolores, i』と言う作品。家族愛を描いたものらしい。サンライズオリジナル。サンライズに駄作なし・・・と思う。ちょいと古い作品なので絵は古風なんですけどね。
心が疲弊しているときにハードな作品はきつい。でも、昔日の時そう言う作品ばっかりチョイスしていた時期があった。
あれは自分が中二病を治療するために必要なカリキュラムだったのかもしれない・・・w。
なので。
結構その時々で、必要な作品を無意識的にチョイスしている、あるいはさせられているんだと思う。「巌窟王」と言う名作で言ってた。
「この世に偶然は無く、すべて運命・因果・必然。強い意志でそれを操る」と言ったフレーズ。そして「運命とは自らの力で切り開く」ものであり、もひとつおまけに原作では「偶然を操れるのは神だけ」という記述もあるらしく。
ふむ。
たかがアニメでぇ~、と言う向きもあるかもしれないが、アニメをこよなく愛する私は永劫にされどアニメ、と反論するだろう。
それはさておき。
ちょっと前まで癒し系を重点的に配置していたのだが、刺激の強い作品、弱い作品の黄金比ってあるのだろうか?
まあ、どんな非日常もひっくるめた日常を送っているのかにもよる。
だが、ここんとこちょっと精神的にきつい時期でもあったので癒し枠が多かった。で、最近になってまたメンタルが持ち直してきたと言う訳である。そこには勿論アニメが触媒として働いたことは言うまでもないのであ~る。
まあ、今はあまりアニメ視聴に時間を割けないのだけれど、一時期アニメと映画を貪るように観、感情を垂れ流していた時期があった。
涙も笑いも、心の栄養になるのだ。鬱系の作品も多かったけど、大抵はなんらかの救いはあったと思う。いや、ないのもあったな・・・。
ちょっと参考までに、今まで観た作品のベスト20のリストを作ってみた。
別に懐古厨と言う訳ではなくて、最近はなかなか時間が取れないので新しい作品が少ない。そこはご了承いただければと思う。
あ、勿論見たことのない作品も山ほどあります。
20: Another |
19:TiGER&BUNNY |
18:とらドラ! |
17:Steins Gate |
14:デスノート |
13:魔法少女まどか☆マギカ |
12. カイバ |
11:新世紀エヴァンゲリオン |
10.攻殻機動隊
9. ガングレイヴ |
8:CLANNAD |
7:ゾンビランドサガ |
6:カレイドスター |
3:プラネテス |
2:巌窟王 |
1:新世界より |
こんな感じである。TOP4はNHKアニメなどもあり超マイナーだが、名作だ。多くが2クールなんだけど・・・。
ほぼほぼ、dアニメストアにはあると思う。ご興味がありましたらどうぞ。
あ・と・は。(魚が水を得てきたな?w)
アニメをチョイスするにあたっては、皆様のブログやサイト、そしてレビューサイトを参考にする。
おすすめサイトを二つ。
前者は最近更新されていないのだがどうしたのだろう・・・。後者は日本・海外の映画もある。ご参考にしていただければと思う。
さてさて。
アニメや映画、ドラマなどの同志を募るか募られるかして、コミュニティサークル的なものを作るとすごくいいと思う。これはネットだけでなくリアルでも機会があれば参加したいところだ。
なかなかないんですけどね。
異業種交流会みたいなのでもいいんだけど、仕事の延長になり易い。また趣味サークルだと老若男女集まるので、コミュ力などに悩んでいる人にはいいかもしれない。
まあ、オタクと言う人種は自分の得意分野になるとマシンガンのようにしゃべったりもするもんだけど、それはそれで自信につながるのであればいいではないか。
話はどんどんずれていくけど、居場所は一つより二つ、二つより三つがいい。あんまり増えすぎると自分が疲れるので線引きは必要だけど。自分の家や部屋、学校や職場、そしてもう一つ二つだ。
アニメを観、話す。いい作品を勧められ、観る。目から鱗が落ちる。自分も勧める。なんか弁証法的だ。イカしてる。
私は来る者は拒まない。去る者も追わない。だから、趣味サー早くカマ~ン!!田舎だからないのよお~~~!!w
そんなこんなで。アニメから映画にバトンタッチ。
映画は直近で観たのは「ボヘミアン・ラプソディ」である。結構経ってしまった。ほぼ同時に「グレイテスト・ショーマン」も観た。どちらも秀逸であった。
人生何が起こるか分からないし、どちらの作品の主人公もとても刺激的な、波乱万丈の人生を送ってて共感するところがあった。
そして両作に共通するのは音楽であり、歌。スパイスでもあり、歌や音楽がメインデイッシュでもあり。一粒で二度おいしかった。
昔の映画を今思い出すと、真っ先に浮かんでくるのは「ニューシネマパラダイス」である。
この作品。何がそんなに自分の心に響いたのか再考してみる。でも、長くなってきたので次回以降に譲る。では。/おしまい。
コメント、ありがとうございます!
お褒めにあずかり光栄です!
今のジャンプも昔の作品群とそん色なく、やっぱりジャンプだなあ、と言う貫録を見せつけています。すごいですよね。
コメント、ありがとうございます!
「鬼滅」、ヤバイですね~。私も先が気になってしょうがなくなってきました。
>切株おやじ様(id: masuhiro6595 )
コメント、ありがとうございます!
次のアポが取れるまで何度でも泥臭く行くのが美学ですw。奥先生の作品は私も好きです。個性派なところ、とんがっている所も実に素晴らしいです。
コメント、ありがとうございます!
はい、ぜひぜひ紹介させていただきます!
ドラゴンボール、ナルト、デスノートも素晴らしい作品ですね~。規格外です。
>ちゃんこ様( d:chanko_bamboo )
コメント、ありがとうございます!
仮面ライダーもとても重たいテーマのものがたくさんあり、何より正義の味方なので背負っているものがとんでもなくでかいと言う、もう秀作になるしかない要素が満載ですねニチャア。「鬼滅」は久々の超大作の予感がします!心の準備をしなければッ!!
コメントありがとうございます!
「鬼滅」、ここまでやばかったとは・・・。規格外の作品ですね。引き込まれています。